堕ち行く、ロゴス

堕ち行く、ロゴス

世の中に絶対と言うものはない。とよく言いますが
論理的にこれを検証すると
世の中には絶対と言われるものは存在することがわかります。

絶対というものがないと立証するためには
世の中に絶対と言うものがないと仮定しなければならず
この仮定自体の存在。=絶対性を否定しなければいけないからです。

これは「嘘つきのパラドックス」と似たようなことで、絶対に嘘しかつかない嘘つきが「私は嘘つきです」
と言った瞬間に自分の存在が矛盾してしまうことになるという
哲学的問題です。

この話しを聞いた直後に
僕はなんとも息苦しい気持ちになったのですが

安吾の堕落論を読んでそれがより色濃くなりました。

歴史を紐解くと
絶対的な存在は必ず人の上に立とうとし、奢侈を尽くします。
そういった封建制は何度も打倒されシステムとして欠陥があるということは
ある種、半分証明されています。(これから先はわかりませんが)

また、【絶対】と並び、僕を不安にさせる言葉が【普通】です。
普通。という言葉はとても恐ろしい言葉で。
自分の絶対を他人に押し付ける行為だと思います。
むしろ【絶対】よりも【普通】という病におかされている方が
気づかないうちに取り返しがつかないところまで重症化していたり。
【絶対】よりも多くの人に【普通】が潜んでいるのではないかとも
最近、怪しんでいる次第でございます。

ただ、絶対の存在を目の前にした時
人は【絶対】に対して抗って生きていたいとも思う生き物だとも思います。

この人のいうことは絶対正しいという人のあらをあえて探したくなってしまったり

静寂が保たれた空間で笑いが込み上げてきたり

僕は真っ黒なものよりも少しグレーがかかっているものが好きです。
ブラックデニムは少しだけ履き込んでいる方がパキッとしすぎず
他のアイテムとよく馴染むから。

僕が望んでいるものは
グラデーションの中にあるのかもしれません。

グラデーションの先にあるのは余白。
余白は誰しもが自由を享受できる瞬間だと思います。

今回、Fujimotoとイベントを開催するにあたって撮影を敢行しました。

デザイナーの藤本さんがCWでは空間作りにまでこだわった見せ方をしたいと言ってくれたことから
空間を作ってもらい
フォトグラファーの池上さんが作品を一緒に作りたいと言ってくれて。(ちなみにどちらも名前はきょうへい)

いつも協力してくれるそういちにヘアとメイクを任せて。

モデルはいろいろが人生はじめましてのうえち君。

決まっていることは特になく。

それぞれが考える、解答を組み合わせただけの
とてもシンプルな写真がここにあります。

Fujimotoの商品写真
Fujimotoの商品写真
Fujimotoの商品写真
Fujimotoの商品写真
Fujimotoの商品写真

 

Fujimotoの商品写真
Fujimotoの商品写真
Fujimotoの商品写真


作り手たちが思惑を巡らせたものに他の人たちが解釈を加え
全ての行為の隙間に少しだけ余白が生まれ
感じる余地がたくさんあるものが産声を上げます。

堕落論の中で安吾が小林秀雄の言葉を引用するのですが
『美しい花がある、花の美しさという様なものはない』
この一説自体はとても美しい言葉に思えます。

しかし、安吾の立場から意見すると
花の美しさを感じる感性こそが美しいのです。
非の打ち所のない人に。絶対を知る者に花の美しさなど宿るわけがない。

そう、人はただ花を見るだけなのだ。

さて、この出来上がった写真はどうか?

もはや、どうでも良い話しだと思います。
どう感じるかさえも、あなたの自由なのだから。

For @fujimoto_____
Photo by @ikegamikyohe Hair & makeup by @______soichi Model @uechidesu

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